心の充電。

心の充電をする、というならば、心の電池パックは交換できるのかとか、思ったりしまして。
交換はできないんじゃないかと、そこまで思って、できないなら、ケータイと同じように電池パックを長持ちさせるために充電があるうちから早めに充電するのは良くない、ってことかなぁなんて思いまして。
楽しいことばかりで生きていたら、楽しいことに麻痺してきて、つまり、心の電池パックがちゃんと充電できなくなって、すぐに足りなくなってへこたれるってことかなぁと。
だから、楽しいことは少しの方が長持ちするのかなって考えに落ち着きました。
でも、それってとっても悲しい気がして、思い付いても口に出せなかったし、本当は毎日楽しいことだけで生きていきたいし、長持ちのために楽しいことを我慢するのって変な気がします。
心の充電が切れたところで、なにか困ることがあるのかって言うところからが本当の話のはじめなのかもしれないです。

不安で不安で。

こう、不安で不安で、自分がものすごい愚図におもえて、なにもかもやめて寝ていたくなるときは、どうするのが一番なんだろうか。
外に居るときはできる人を気どって他人を上から見て、勝手にこの人はこう、と評価しているのに、ふと、自分がなんにもできないし、何にもなれないし、なんの役にもたたないやつだってことに気がついてしまって、生きている価値すら見いだせなくなるときがあって、何かすれば良いのかもしれないけれど、なにもしないし、全くの愚図で。
それをいつか世間から見抜かれて、役たたずと、追い出されてしまうような気がして、怖くて、何でもっとみんな私がなんにもできない愚図だと思ってくれないんだと、勝手に人のせいにして、でも、出来るのを気取っているのは自分で。
全部やめたいけど全部やめたらなんにもなくなる。私はなんにもない。
高校時代に授業で読んだ子供のおもちゃにしかならない赤い繭になってしまう男のように、役に立たないなにも出来ない私も早く赤い繭にならないだろうかと、そんなことばかり考えて、自分で動かないし、本当に、本当に愚図すぎる。
どうしたら、この不安が無くなるのか。
誤魔化して忘れていることしか今は出来ない。

フォーク。

不安で不安でしょうがないときとか、よくわからないけど辛くてしょうがないときの感覚は、心臓に何かが刺さっているのに、それで口から血をダバダバ出しながら生きているのに、誰にも見つけてもらえずに、顔だけヘラヘラしているような気分なんだけども、そのときに心臓に刺さっているのが何かっていう話で。
ナイフかフォークで言ったならフォークだな、って、思いました。
最初は出刃包丁だ、と思ったのだけれど、そんな大きいものが刺さっていたらきっと即死であろうなと。
じゃあ、食べるときに使うナイフかフォークだって思ったんです。
食べるときに使うカトラリーのナイフが刺さるところを想像したら、それは出刃包丁が刺さるより切れ味が悪い分痛いし、傷口ぐちゃぐちゃじゃないかって。
そしたら、4本か3本の鋭いとがったのがブスッと刺さってる感じだなっておもって、だからフォークだなと思いました。
致命傷じゃないけど何回も些細なことで刺さっては、抜ける感じ。
いつも同じところに刺さってくるから、刺さってなくても割にしょっちゅう痛い、傷口が乾かない、そんなことってないですかね。

喫茶店で売っているもの。

今のバイトを始めた頃に気づいたこと。喫茶店でコーヒーを飲む理由について。家で飲めばたぶん、100円かからずに飲める、自販機で買えば120円で飲める、ではなんで喫茶店でコーヒーを飲むのか。
それはきっと、座ってゆっくりする時間をコーヒーとして買っている、ということなんだと思う。
スチームで泡立てた牛乳の乗ったコーヒーを飲むために特定の喫茶店に行く、というのは分かる。でも、コーヒーならまだしもマグカップのティーバッグにお湯を注いで出した紅茶なら家でも飲めるんじゃないか、ましてそれに500円弱出してまで飲まなくても、と思っていた。そして、その紅茶をいれているのは紅茶に詳しい人ではないことの方が多いとだろうし。
だから、やっぱり、そこ(喫茶店)にいる権利を得るためにわざわざ500円弱出しているのだと思う。コーヒーや紅茶はおまけにすぎない。

だから喫茶店の本当の売り物は時間なんじゃないか。なんて。言っていてると恥ずかしくなる。

カフェラテ・カプチーノ

バイト先が急激な値上がりをして、常連客の多い店なので、アルバイトであろうが社員であろうが誰彼構わず文句を言ってくる人が多い。
「せいぜい上げるなら100円程度だろう。」
「コーヒー1杯にこんな値段出せない。」
「おかわり自由なんていっても、1杯以上要らないわ。」
等々、心が折れそうである。
値上げしてもアルバイトの時給は変わらないのだし。
しかし、値上げしても順応に受け止めて、怒りもせず、笑顔で通い続けてくれる人がいる。
いつもカフェラテを頼むあの人は今日、値上げしてからはじめて来店された。
メニュー表が新しくなったのを見て、
「メニュー、変わったんですね。」
といい、カフェラテとカプチーノの文字を指差して、
「これとこれは別物?」
という。
私はカフェラテがどうの、カプチーノがこうのといつものように分かるような分からないような曖昧な説明をする。
いつも話をするわけではないのだけれど、アルバイトであっても常連さんに対してなんとなく親しみを感じていて、値上げも申し訳ないな、と思っているので、つい、説明の最後に
「お客様はいつもカフェラテをご注文くださいますよね。」
というと、いつも目を伏せているのに、その時は顔をあげて正面を向いた状態でにっこりと笑って
「じゃあ、カプチーノにしてみようかな。」
とその人はいつもと違う注文をした。
それだけで心が少し軽くなった。
カプチーノはカフェラテよりも美味しかっただろうか。

グラノーラのチョコレート。

固めてあったのを暖めた包丁でザクザク切っていったんですけど、本当に固くて、中に入ってるピーナッツとかがミシミシいって不愉快だったんです。
刃物をみると無意識に痛い想像をしてしまいがちなのですが、包丁で固いものを切ると、どうしてもそのめいっぱい押し付けて切った感覚って、指とかを切り落とすときも同じなんじゃないかって思ってしまうんです。
それで後になってフッとそんなことを思い出して、痛いなぁって思ってぎゅっと目をつぶって、やだやだって頭を振るんですけど、こう言うことって他の人にもよくあることなんですかね。
おかしい人なんじゃないかと結構不安になります。